どうしようもないこと。

わかっていてもどうしようもないことがある。
どうしようもないということはわからないということなのだろうか。
いや、わかっているのはわかっているけれど
どうしようもないということなんだろう。
そもそも、そんな簡単にどうかなるもんじゃない。

理屈や理論や夢や希望やきれいな言葉は
いくらでもあるのだけれど
そんなものはどうしようもないことの前では
なんの役にもたたない。

だって、どうしようもないんだから。
どうしようもないのだけど
でも、やっぱりどうにかなってほしいなって思う。

そう思うことしかできないから。せめてね。

 

 

 

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そこはかとないもの。

ここにきて迷っているというかなんというか。
いままで、考えていたようで考えていなかったというか。
自分が好きなもの。

受け手として漠然とはわかっていたけれど、
さて、自分が創ろうかと思ったときに、
じゃあ、具体的にどういうことだと堂々巡り。

なので、それらを最近は具体的に探しています。
身近なもの。
そこはかとないもの。
あ、全然具体的じゃないですね。

でも、その辺がやっぱりぼくにとっての
一番近い場所な気がします。

まだまだ探しつづけて創りつづけていきます。

 

 

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凧あげ。

年のはじめには凧をあげるという風習がここ数年あたりまえになってきた。凧あげなんてって最初は思っていたんだけど何よりあげるのが楽しい。

そろそろと吹く風の中、まだかいまかと時を待つ。そして、突然吹いてくる風をつかまえてその風に凧をのせる。時々、糸をくいっとひっぱってやることで、すこしずつ高く高くのぼっていく凧。見上げる空。どこまでも広い空。その中に浮かぶ小さな凧。それをじっと眺める。手にした糸に風の感触を感じながら。

いつまでも見上げていると、どこが空でどこが地面なのかわからなくなる。凧からみたら、ぼくなんてものすごく小さくみえるんだろうなぁと思う。なんだか、そういうちっぽけ感はいつだってここちよい。

とはいえ、いつまでも凧をみつづけているワケにもいかないので、くるりくるりと糸を巻き直していく。じわりと近づいてくる凧。そして、ある程度近づいたときに何かを見失ったかのようにコトリと落ちていく。

風にのったり、コトリと落ちたり、人生のようだね。
でも、またいつだってあげればいい。

そんな凧あげが好きです。

 

 

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時間。

最近、1年とか単位も早く過ぎていくように感じる。1年もあっと言う間なくらいなので1日なんてあっという間だ。年を重ねると何かとやることが増えていくのでそれは当り前のことだと思っていた。でも、それでいいのかな?とふと思った。大きな単位でみるとそれはたしかに早いのかも知れないけど要所要所にゆるやかな時間というのもあるんじゃないかと。

たとえば、窓から空をぼんやりと眺める時間。時間にしたら5分にもみたいなようなもの。でも、そこにはたしかにゆるやかな時間があるんじゃないか。夕暮れ時にぼんやりと聞こえてくる学校帰りの子どもたちの声につられ2階の窓よりそれを眺めている時間・鳥たちがいっせいに飛び立つのを目で追っている時間・ぼんやりと空想している時間。数字としての時間でいえば小さな小さな時間。でも、感じる時間でいえば、それらはけして早いなあと感じる時間ではないハズ。

今年はちょっとそんなことを考えながら毎日を過ごしている。あいかわらず、なんだか毎日あわただしく納期に追われたり、子育てに追われたりはしているんだけど、なんとなくそこにおだやかさは存在する気がする。今年も1年早かったなー。そんな風に思わなくていいような、1歩1歩をかみしめたミルフィーユの層のような(ほとんど食べたことないけど)1年になっていればいいな。

 

 

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